2024.11.28 園だより11月号 (11月28日発刊)
「千歳あめ 」
11 月15日は「七五三」でした。園でも13日に「七五三の成長を祝う会」をやりました。
5歳児(年長組)担任から、「みんながここまで無事に大きくなったことをお祝いする日です」
などと、七五三の由来、意味や意義についてわかりやすく話がありました。帰りには千歳あめを
持ち帰りました。園から持ち帰った千歳あめの袋には、最近はやりのキャラクターではなく、
昔ながらの縁起物の「鶴」「亀」「松」「竹」「梅」の図柄が描かれています。これは、千歳あめの由来や意義を知ってほしいという願いからです。常緑樹である松は、樹齢も何百年と長いことから
長寿の象徴とされています。竹は地面に根をしっかり張って新芽を出すことから子孫繁栄の象徴と
されます。梅は寒い冬でも香り豊かな花を咲かせることから、生命力や気高さを象徴すると言われています。鶴は遠くまで声がよく響くので、「天の神様まで声が届くおめでたい鳥」と考えられて
います。亀は昔から中国では、不老長寿の地の使いといわれています。亀のこうらの模様の六角形は吉兆を表す図柄です。ご家庭でも機会があれば、図柄の意味をお話いただければと思います。
さて、七五三ですが、少なくとも平安時代から宮中で行われていた儀式がもとになっている
ようです。今と違い、昔は医療や衛生面が十分ではなかったので、幼い子どもの死亡率がとても
高かったようです。よって7歳までは「神の子」として大切に育てられたようです。子どもが無事に育つことは親として大きな喜びで、子どもの健やかな成長を願わずにはいられなかったようです。
昔と違って今は医療や衛生面のレベルは格段に上がっていますが、それでも子どもの健やかな成長を願う親の気持ちは、いつの時代も変わりません。
こうして、3歳、5歳、7歳の節目に健やかな成長を神様に感謝し、お祝いをしたことが七五三の由来とされ、江戸時代に武家や商人の間に七五三の原型として広まったようです。明治時代になると庶民にも広まり「七五三」と呼ばれるようになり、大正時代には現在のような形になったという説があります。昔は、3歳の男の子と女の子は「髪置きの儀」、5歳の男の子は「袴着(はかまぎ)の儀」、そして、7歳の女の子は「帯解き(おびとき)の儀」という儀式がそれぞれあったようです。今では、神社仏閣へのお参りと千歳あめくらいでしょうか。それでも、こうした日本の伝統行事は
続けて取り組んでいきたいものです。